吃音があっても夢は叶う|医師を目指したきっかけ

吃音

小学生の頃、私は吃音がありました。日常会話はほとんど問題なかったけれど、ふとした瞬間に言葉がつかえるのは、やっぱり嫌な気持ちになったのを覚えています。

「少しでも言葉につまらないようにしたい」と思って、私はたくさんの言葉を覚えるようになりました。辞典を読んだり、クイズ番組を見たり。いつの間にか、「物知りだね」と言われることも増えて、成績も良いほうでした。

話すのが苦手だったからこそ、言葉を知ること、考えることの面白さに出会えたんだと思います。そして、そんな私が医師を志すことになった“きっかけ”があります。

ぼんやり描いていた「学者になりたい」という夢

子どもの頃から、なんとなく「将来は研究者とか、学者になれたらいいな」と思っていました。話すのは苦手でも、考えることや、何かを深く掘り下げることは大好きでした。

「いつか、ことばや人のこころについて研究できたらいいな」

そんな風に、ぼんやりと夢を描いていた小学生の私に、ある出会いが大きな衝撃を与えました。

小6で出会った「吃音の医学生」の衝撃

小学6年生のとき、通っていた「ことばの教室」で、ある日先生からこう言われました。

「NHKで吃音のある医学生が“詩のボクシング”という番組に出てたんだけど、よかったら見てみる?」

吃音のある人が、人前で詩を朗読するなんて——驚きでした。その医学生こそ、現在では吃音研究で有名な菊池良和先生だったのです。

番組では、先生が診察の練習をしたり、プレゼンをしたりする姿が映っていました。でも、何より驚いたのは、そのときの先生の吃音が、私よりも頻繁で重そうだったこと。

「えっ、こんなに吃音があっても医師を目指せるの?」

衝撃でした。吃音がある人が、患者と話す職業である“医師”を目指している。その事実が、私の心を大きく動かしました。

「自分にもできるかもしれない」と思えた

それまでは、「吃音があるから、話す仕事は無理かも」と思っていた私。でも菊池先生の姿を見て、初めて「自分にもできるかもしれない」と思えたんです。

吃音があっても、人と関わる仕事ができる。吃音があるからこそ、相手の気持ちに寄り添える医師になれるかもしれない。

それから私の中に「医師になりたい」という想いが芽生えました。さらに、「いつか吃音の研究ができたらいいな」とも思うようになりました。

そして今——吃音を強みに変えて働く日々

今、私は医師として働いています。専門はがん治療を担当する腫瘍内科です。

吃音研究の道には進んでいませんが、言葉に悩んだ経験があるからこそ、患者さんの不安に寄り添える。それが自分にとって大きな強みになっていると感じています。

このあたりの話は、また別の記事で詳しく書きたいと思います。

まとめ:吃音は「強み」にもなり得る

吃音があったからこそ、私は言葉の大切さや、人と向き合う意味を深く考えるようになりました。

吃音はたしかに、生きづらさを感じることも多いです。でも、その中から“自分だけのストーリー”が生まれることもあります。

もしあなたが、吃音で悩んでいるなら——
自分にもできるかもしれない」って、思ってみてもいいと思います。

この記事を読んでくださった吃音を持つ子供たちが、自分の夢に向かって力強く行動していけることを願っています。
吃音があっても、夢は諦める必要はないと強く思っています。

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